カテゴリ:book( 35 )

freak out

e0191371_2240214.jpg

音楽ライター・磯部涼氏のゼロ年代後期の記事を集約した2冊目の単行本。
日本語ラップをトピックの中心とした前作とは異なり、3つのテーマから構成される。

第1部はパーティーを中心としたクラブ・シーンの現場型ルポ。
ただし、パーティーとは言っても煌びやかな大バコで開催される類のものではなく、
アルコールと煙を燃料にしてひたすら享楽的に(しかも無意識的に)
酩酊と陶酔に身を委ねる人間が集まるタイプのそれである。
となると当然メイン・ストリームからは外れ、かといってカッティング・エッジでもなく、
それでいてソティスフィケートされた演者と観客のたまり場となった奇跡の夜。
要するに、趣味の合うセンスが良い(と自分が信じる)奴らと酒を飲んで踊ればいいのだという、
原始的なパーティーの在り方と楽しみ方を今一度知らせてくれるチャプターだ。

磯部氏はその夜にかかったトラックについての言及をしない。
セットリストを再現することが(知識ではなく意識の問題で)出来ないことを公然と開き直る。
つまり、ここに記されているレポートはある意味では不完全な記録だ。
だが、書き落とされてしまった情報の多さはそのまま、
その夜がいかに素晴らしかったかを教えてくれる価値ある欠落でもある。
(ちなみに個人的にはこの章が最も読むに値すると思っている。)

前作からの流れも汲む第2部の主役となるのは日本語ラップ。
ゼロ年代後半を代表するスタイルの一つである「ハスラーもの」の代表格であるSEEDAやNORIKIYO、
そしてD.O.といったMC達を取り上げながら、シーンの趨勢を紐解いていく。
これを読めば、ドラッグ・ディールやマネー・ゲームをトピックとして扱うラッパーがいかに自然体で、
同時に持てる限りのアイデアとインスピレーションを費やしてライムを構築したかが分かるはず。
確かに流行ったハスリング・ラップは、しかし単なる流行ではなかった。
どちらかと言うと文系〜サブカル愛好家もしくは中流階級以上の層が
最新の音楽への興味の中で取り組み始めた色合いの強かった日本語ラップが、
少し遠回りをしてこの国でもストリートに着地しただけだったのだ。

最後の第3部では、新しい世代のフォークとも言える数々の「うた」にフィーチャー。
前野健太や神聖かまってちゃんがこの時代に現れた必然性や、
寺尾沙穂やceroが紡ぐリアリティについて触れている。
また、9時間にも及ぶ対話から引き出された七尾旅人のレビュー〜インタビューは、
彼のバイオグラフィーを丸ごと横断する、キャリアの「一区切り」的資料としても貴重だ。
(その後、彼がパートナーを失ったことで次のタームに入ってしまったので、
結果としてその意味合いはより強くなってしまったように思える。)
曽我部恵一のインタビュー内の彼の発言の文末についている「(笑)」は、
本来単なる記号のはずなのに、彼の笑顔を脳裏に思い出させるのだから不思議である。

blast誌上等で執筆していた20代の頃にあった独特の刺々しさや毒っ気は抜かれているが、
その分自らの欲求にシンプルかつ的確に行動しているであろうことが伝わってきて清清しい。
それ故、読んでいると夜の街に飛び出していってしまいたくなる一冊。
[PR]
by taku_yoshioka | 2013-02-21 23:59 | book

Now we get a rude and a reckless.(Rudie Can't Fail/The Clash)

e0191371_2339985.jpg

かつてはblast誌においても執筆していた二木信氏の10年分のテキストを束ねた評文集。
我が国の政治情勢や自身で参加していたデモでの出来事にも触れつつ(ここが重要だと思う)、
大きな変貌と躍進を遂げた日本語ラップの一つの先端部分をレポートしている。

BLACK SMOKER RecordsやLibra Recordsに所属する各アーティストや、
THA BLUE HERBにMIC JACK PRODUCTIONといった北海道勢、
そして気鋭のSIMI LABにPSGなどにフォーカスした記事の数々は、
その対象のチョイス自体に偏りがないといえば嘘になる。
よって、ゼロ年代の日本語ラップを総括した内容とは呼べないのだが、
だからこそ浮彫りになる一つの潮流を感じ取れるところが面白い。
その時代の全てではないものの、確実に存在していた幾つかの蠢きを記録しておくことの大切さは、
冒頭にも挙げたblast誌の廃刊以降益々重要で貴重なものとなっている。

リリックの引用を交えながら進行するレビューやインタビューは、
ラッパー達が紡いだ言葉に敬意を評し、丹念に聴き込んだからこその産物。
もっとも、その言の葉を信用しすぎてしまったが故に起こった、
環ROYとの「衝突」の様子も生々しく収録されてはいるのだが。

巻末付録として書き下ろされた「日本のヒップホップ ディスク・レヴュー 二〇〇〇年〜二〇一二年」は、
昨年の『blast ジャパニーズHIP HOPディスク・ガイド』を補完する意味でも読む価値あり。
これもまた選定の段階から大いに異論があることが想像される内容となっているが、
その不備や欠落こそが「味わいどころ」であることは間違いないだろう。
[PR]
by taku_yoshioka | 2013-01-31 23:40 | book

be strong

e0191371_22113176.jpg

北海道日本ハムファイターズは「強い」チームだ。

2012年のパ・リーグ覇者を前にして何を言っているんだと思う向きもあろうが、
ここで言及したいのは野球という競技においての「強さ」ではない。
プロ野球チームを一つの企業として捉えた際の、
営業面や経営面の「強さ」がファイターズには備わっているのである。

かつての日本ハム、そしてそれ以外のほとんどのプロ球団の親会社は、
チームを単に企業イメージアップの役割を担う広告塔として扱い、
そこにかかるコストを「宣伝費」として割り切った赤字覚悟の経営を続けていた。
形上は独立した別会社ではあるとはいえ、
独立した採算を球団で成功させようなどとは真剣には考えていなかったのだ。

この状況にメスを入れたのが、セレッソ大阪の社長を経て、
日本ハムファイターズ社長に就任した藤井純一氏だった。

驚くべきは、その手腕の堅実さだ。
ファイターズに劇的な変化をもたらした革命家は、
奇策を弄した訳でもなければ、天才的な閃きに富んでいた訳でもない。
シンプルにやるべきことを一つずつ、全てやっていったという印象が強い。
しかし、その丁寧さや抜かりのなさは超一流の経営者の対応であり、
それこそが日本のプロ野球に欠けていたものだった。

球団を一つの企業として考えるようになれば、
赤字部門を「そういうものだ」と切り捨てることはできなくなる。
すると、必然的に原因究明と解決に向けた推進力は生まれ、市場での競争力は高まり、
球団は既存の慣習から抜け出したビジネスを展開できるようになる。
ここに好循環が生まれることは言うまでもないだろう。

本書は、大学でのスポーツ・ビジネスの講義のレジュメを下敷きにしていることもあり、
放映権やマーチャン・ダイジング、スポンサーや情報分析など、
スポーツ・マーケティングの基本的な事項を広くカバー。
具体例も交えた、その手の入門書としても十分に活用できる設えとなっている。

もちろん、野球チームとしての「強さ」についても少し触れられており、
セレッソ時代から参考にしているというバイエルン・ミュンヘンの哲学とシステムが
「育成型チーム」というキーワードの元にファイターズにも還元されていることや、
独自のBOS(ベースボール・オペレーション・システム)が果たす役割を知ると、
群雄割拠のパ・リーグにおいてAクラスの座を守り続けているのも納得だ。

まだまだ未成熟な日本のスポーツ・ビジネスにおいて、
北海道日本ハムファイターズが確立したビジネスモデル、並びにこの一冊が果たす役割は大きい。
また、先日話題となった大谷選手向けの資料の一件も含め、
ここまでオープンに内情を公開する球団は他にない。
これから10年そして20年と、北の大地で常勝軍団になろうとしているチームの、
堂々たる挑戦の姿勢と出色のマーケティング・プランの一端がここにある。
[PR]
by taku_yoshioka | 2013-01-04 22:12 | book

foxy

e0191371_0595933.jpg

森見作品の例に漏れず京都を舞台にしたファンタジーではありつつも、
代表作である"四畳半神話大系"や"夜は短し歩けよ乙女"で見られる
鬱陶しいほどに多弁な(ときに冗長な)独特の文体は影を潜め、
正統派の小気味いい語り口で綴られた幻想奇譚集。
アクの強さから他の作品ではとっつき辛い印象を持っていた人も、
この短編集ならばすんなりと読めるかもしれない。

4編の物語はそれぞれが独立しつつも、胴長の怪しい獣(もしくは魔物)であったり、
キーパーソンである古道具店「芳蓮堂」の若き女主人・ナツメであったり、
タイトルにも入っている「狐」であったりが共通して登場することでリンク。
時間や場所を少しずつ変えつつも、一連の出来事のようにして世界が構築されている。

はっきり言ってしまうと、物語としてはかなり曖昧な出来だと思う。
一見似たような空気を持つ怪談物や、ミステリーないしはホラーのような明確なオチはない。
あるのは、どことなく恐ろしく何か起きそうという予感と、それに伴う湿った感触だけだ。
しかしそれこそが本作品の見所でもあり、判然としない闇や影ほど恐ろしいものはない
(これを、まさに狐に化かされたようだ、とするのは言葉遊びが過ぎるだろうか。)
[PR]
by taku_yoshioka | 2012-11-09 01:00 | book

それがMC あれもMC(エムシー/スチャダラパー)

e0191371_115427.jpg

[ネタバレあり]

太宰治が晩年に残したヒット作。
戦後まもなく、それまでの暮らしを失ったある貴族一家を中心に人間の零落と退廃を描き出す。

主人公・かず子の弟である直治は麻薬中毒に陥った過去を持った人物で、
自らの名前の一文字を与えていることからも分かるように、
太宰治自身の性向や人となりを色濃く反映していることが伺える。
(名前に関して言えば、太宰が生まれたときに既に他界していた二人の兄を除き、
男兄弟は皆「治」の字を持っていたため、姉を持つ(貴族の)男子のイメージともいえるかもしれないが。)
その直治は、貴族からの脱却への挑戦を試みるも、果たせずに自決。
自主的な選択として死を意識する様は、まさに太宰治の生き方そのものだろう。

一方「人間は恋と革命のために生まれて来た」と信じるかず子は、
革命を人生の本義であると謳ってはいるものの、社会的な意義での活動家ではない。
あくまでもパーソナルな世界での革命を目指して邁進するのみだ。
仄かな狂気も感じさせるほどに無鉄砲な情熱家である彼女は、
弟とは対照的に愛する人の子供を宿し育てることにレーゾンデートルを見出して、強く生きる。

その二人の母の一つ一つの所作の美しさは、文章で読むだけでも惚れ惚れするほど。
「最後の貴族」としての気品や誇りを貫く美しい人であった。
戦争に終止符が打たれた動乱の時代において、有限の財産を食い潰す他に術を知らず、
経済的/物質的な理由からそれまでの貴族が貴族ではなくなっていく中、
臨終まで自棄になることなく静かにそのときを待つ姿は気高い。

そして、もう一人の主要人物が、デカダンを地で行くような作家の上原だ。
かず子と直治の姉弟の心を(それぞれ別の方向から)絡め取り、
その堕落の手助けを(やはり別の方向から)図らずも推進してしまう。
家族内だけに留まらないことで格差構造に厚みを持たせ、
より一層の陰影を作品にもたらしているキーパーソンである。

以上の人物が入り混じりつつ人間模様が描写される本作だが、
タイトル通り栄華の日々の終末、そして人生の終わりを扱った沈鬱な物語だ。
人の数だけ没落があるとでも言わんかとするように、
それぞれがそれぞれの方法で緩やかに破滅へと歩みを進めていく。

そんな中、一筋の光のように輝くのが主人公であるかず子の生き様。
「母は強し」というメッセージが込められているとまでは言わないが、
憧れ続けた母親とは違う力強さを持って、彼女は未来を切り拓いた。
また、先述の主要キャラクター達は平穏ならざる状況でありながらも、
所々に見せるユーモアと金言が物語を彩る。
結果、ただ暗いだけの悲劇譚とは一線を画す作品となっている。
[PR]
by taku_yoshioka | 2012-10-04 01:02 | book

Human kindness is overflowing(I Think It's Gonna Rain Today/Nina Simone)

e0191371_0241772.jpg

学生時代の中国旅行記やTBLのホームページのブログでの記事、そして書籍化に当たっての書き下ろしなど、
寺尾紗穂が18歳から28歳までの10年の間にしたためた文章をまとめたエッセイ集。
2006年にリリースされた1stミニアルバムとタイトルを同じくする本書は、
彼女の創作のバックグラウンドにある感性や足跡の一端をうかがい知ることが出来る一冊である。
(ちなみに個人出版という形式での天然文庫からの発表で、一般の書店には流通していない。)

2度の中国への旅行〜留学での出来事を書き綴った見聞録は、
一文ごとに中国の地とそこに暮らす人々への愛が溢れ、
同時に凛とした目つきで黒髪をなびかせて中華の街を歩く彼女の姿が眼に浮ぶ。
(もちろん当時の彼女の様子について知っているわけではなく、あくまでも想像なのだが。)
こういった経験がTBLでの"北京の憂鬱"であったり、ソロ曲の"アジアの汗"であったりといった
楽曲の血肉となっていることは言うに及ばず、だろう。

また別の幾つかのエピソードでは"ある絵描きの歌"や"ねえ、彗星"にまつわる話に触れているのだが、
中でも強く印象に残ったのは書き下ろしの「秋色さん」だ。
タイトルと同名のハンドルネームにてホームページのBBSに書き込んでいたファンとの交流を記しており、
"骨壷"とのシンクロニシティの顛末は、奇跡的というにはあまりにも残酷で忘れがたい。

そして、読了して強く感じるのは、寺尾紗穂がいかに人との出会い(そして別れ)を大切にして、
その思いを歌に込めてきたかということである。
これは、単に曲を生み出す上でのインスピレーションとなったという事実だけではなく、
彼女の生き方そのものを象徴しているように思われるのだ。

さて、感想も書き終えたことだし、ニーナ・シモンを聴こう。
[PR]
by taku_yoshioka | 2012-09-28 00:24 | book

走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人の隣まで(風吹けば恋/チャットモンチー)

e0191371_0322463.jpg

筆者が19歳のときに発表したデビュー作にして、第22回小説すばる新人賞の受賞作品。
同賞初の平成生まれの受賞者ということもあり、当時大学生であった朝井リョウ氏は一躍時の人となった。
柔らかい感性で日々の会話から切り取られたタイトルは、思わず手に取りたくなること請け合いだ。

収録された5つのエピソードはいずれも一人称視点で語られ、日常的な学校生活を描写している。
しかも、文化祭や大会のような大きなイベントがある訳でもないので、
本当に「日常」の機微を紡いでいくのみとなり、何も起きず、何も始まらず、何も終わらない。
言わば「今日こういうことがありました。そしてこう思いました」の延長線上にあるもので、
乱暴な物言いをすると、5者5様の日記を読んでいるような感覚に近いかもしれない。
この点が「お前の日記なんて読みたくねえよ」という人からは評価が辛くなるであろうところで、
ブログやプロフ、SNS等で「自分語り」をすることや
それを読むすることに慣れている人(もしくは好きこのんでいる人)とそうでない人とで、
得る印象は大きく異なるように思う。
(さらに言えば、だからこそニューエイジの新人賞らしくもある。)

5人の語り部達は各々個性を持ちつつも、強烈な主人公タイプは存在しない。
それぞれ世界の見方が異なるところも良い。
共通して感じられるのは、他者への羨望や自身へのコンプレックスで、
スクールカーストを気にしながら仲の良い友人とも本音を隠しつつ付き合っていくことで心の平穏を保っている。
きっと、高校生当時から誰にも告げることなく密かに小説を書いていたという朝井リョウ氏自身も、
本作に収録されたストーリーの一つの主人公だったのだろう。

散りばめられた「青春」の記号は具体的なワンシーンを読み手の心に投影するというよりは、
その場面毎の感情を喚起させるための機能が大きい。
かつて経験した青春時代の淡い恋慕や焦燥を思い出させたり、
経験していないのにそうであったかのように思わせたり、
そもそも経験できなかったことへの今更の後悔を促すはずだ。

この作品中で個人的に一番唸らされたのは、女性視点での描写の巧みさ。
(という男性の感想はどこまで確かなのかという疑問は大いにあるが。)
一般的に世の男共には女性の思考回路も女心も理解できないと言われるところだが、
朝井リョウ氏の表現はとても自然で、過不足が無いように感じられる。
加えて、差し込む光であったり服装や仕草に向けられたつぶさな洞察力から、
もはや少女漫画的とも言えるほどである。

決して優れたストーリーテラーでは無いかもしれない。
しかし、青春の光が煌く瞬間を逃さずに掴み取るセンスは間違いなく類稀だ。
(この手の才のある人には、ついつい短歌を詠んでもらいたくなってしまう…。)
[PR]
by taku_yoshioka | 2012-09-06 00:32 | book

俺がやらねば誰がやる と思えばやらねば成せば成る(気付け/築け/三木道三)

e0191371_036313.jpg

あなたは、国家や政府を「作ろう」と思ったことがあるだろうか。

恐らく「ノー」と答える人がほとんどであろうし、かく言う自分もそうだ。
政治家になりたい、もしくは総理大臣になりたいという願望を持つことがあったとしても、
そもそもの国家自体や政府自体を(フルスクラッチで)作り上げようだなんて、想像すらしない方が普通だと思う。
それどころか、語気も高らかに国家作りの話などしたときには、
やれ夢物語だ、やれ絵空事だと嘲弄されるのが関の山ではないだろうか。

そんな馬鹿げたことを、大袈裟ではない方法でやり遂げた人物がいる。本書の筆者である坂口恭平氏だ。
彼は、自らで国家を立ち上げ、その新政府の初代内閣総理大臣に就任した。
とは言え、日本国民であることを放棄した訳では無さそうだし、
その義務を遂行していないということでもない。
ただ、間違いなく独立国家を作り上げたのだ。

書名からして挑戦的で、本文中にもエキセントリックな言い回しが飛び交ってはいる。
ともすると、アブない人なんじゃないかと思われるほどに、エネルギッシュで扇情的、ポジティブでありつつ批判的。
しかし、その本質を紐解いていくと存外まともというか、シンプルな提言であることはすぐにわかる。

一つの大きなポイントは、考えること/疑問を持つこと。

社会には、当たり前のこととして規定・認識されている決まりや常識が山ほどある。
「お金がないなら、働かないと」「不動産に住むのが常識」「この土地は○○のもの」など。
本当は、多種多様な価値観や視点(坂口氏は「レイヤー」と呼んでいる)があるはずなのに、
無自覚的に生きていると自然と流されていき、いつの間にか社会の大勢に組み込まれる。
そして、それを「普通」だと感じることすらなくなるくらいに染み付くと、何も生まれなくなってしまう。

そういう点で、坂口氏の主張は「正しくない」と思わせた時点で、ある意味成功だ。
(少なくとも既存の価値基準から見る限りは)決して普遍的ともフラットともいえない物言いには、
異論・反論が舞い込んでくること請け合いだが、
それに対して向き合う覚悟も持っているし、むしろ望む所といった構え。
根本的に、坂口氏は何かや誰かを支配したいわけではない。優位に立ちたいわけでもない。
世界を良くしたい。ここに尽きると思う。

さらに、彼の掲げる意見にはオリジナリティーや革新性が重要視されてはいないところも注目点。
少なくとも、個人的にはそう感じた。だからこそ、誰でもできる。
加えてさらに個人的な意見を言うと、自分で考えたことがあるような話も少なくはなかった。
一方で、そういったことでも時間の経過や日々の生活の中で忘れていたのもまた事実。
だから、教えてもらったというよりは、凝り固まっていたところを
ほぐしてもらった感じと言ったほうがしっくり来る。
人間が生き物として本来持っていた感覚(理性や知識以前の)を呼び覚ましてくれた、とも言えるかもしれない。

書を捨てて、町へ出る前の一冊としても打ってつけ。
[PR]
by taku_yoshioka | 2012-07-01 00:36 | book

HIPHOP LIFE MUSIC 生きる歌 アメリカ、ヨーロッパ、いやJapan(未来は暗くない-The Next-/blast)

e0191371_20114270.jpg


5年ほど前までは、日本におけるHIPHOPの情報を得るメディアといえば、
雑誌「blast」が筆頭かつ最も信頼できる媒体だった。

中でも、特に重要だったのが日本のHIPHOPに関するインフォメーション。
海外作品はbmrなどの他誌に頼ることも出来たが、
こと日本の作品となるとロック誌では扱いに偏りがあり、
なかなか横断的に網羅してチェックすることが出来なかったのだ。

そんな訳で、毎号の巻末レビューやインタビューはかなり貴重だった訳だが、
クロスビートの別冊時代から数えて実に12年半分のストックから、
日本のHIPHOP作品のみをチョイスして編集されたディスクガイドがこの一冊だ。
ここまで日本の作品に特化したディスクガイドというのは恐らく前例がないので、
本書が現状唯一の専門ガイド本ということになる。

厳選の上収録されているのは、アルバム・シングルetcを合わせて350枚。
一見多いようにも思えるが、実際に読んでみると少ないくらいで、
数的な制限から年によっては抜け落ちている作品もちらほら。
それでも、先に記したとおりオンリーワンな一冊としての意味合い・役割は大きく、
2007年までの作品をこれから聴き始めようという場合には大いに参考になることと思う。

個人的な話をすると、blastは間違いなく青春の雑誌であった。
日本語ラップの情報に飢えていた中高生時代、毎号発売を楽しみに待ち、
近所の書店に見当たらないときには渋谷や新宿のレコード店に足を運んだほどだ。
それ故、本書に収録されたレビューを読み返すと、
当時の気持ちを思い出して熱くなるものがある。

さて、2007年以降にリリースされた作品や、
本書の選定から漏れてしまった隠れ名盤についての処遇だが、
文化の発展(や個人の希望)を考えれば別の書籍でフォローされるべきではある。
だが、既存の媒体がアクションを起こしてどうにかなりそうな印象や、
そもそもアクションを起こしそうな気配は残念ながら無い。
やはり、専門誌の存在は大きかったのだと、5年のときを経て改めて痛感。


(余談)
blastを旗印に集まっていたライター陣も、休刊と共に離散した。
その後の彼らの活動について、特徴的なものを分かる限り以下にまとめてみた。

高橋芳朗は、毎週日曜日にTBSラジオで番組パーソナリティーを務めている。
同じく放送畑で活躍する古川耕は、構成作家としてのキャリアを充実させる傍ら、
書き仕事としては大友克洋がCMにも携わっていた"FREEDOM"シリーズのノベライズ作品を発表。
磯辺涼は引き続きライターとして活躍し、自身の記事をまとめた単行本を2冊上梓した。
また、最近はDOMMUNEのプログラム内での司会進行でその姿を見ることが出来る。

このガイドにも収録されている「結論から言おう」のフレーズから始まるレビューが印象的な二木崇は、
昨年5月に自宅にて突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
blastのレビュワーの中でも一際熱の入った(言い方をかえると感情的な)文体が印象的だった萩谷雄一は、
慶応大学のお膝元である日吉の地でカレー屋をオープンしたとのことだ。
二木信は、昨年9/11に行われたデモ「素人の乱」にて公安条例違反などの現行犯として逮捕され、
その名前を久しぶりに目にした人も多いと思う(見せしめとしての不当逮捕だとの声も多い)。
一ノ木裕之は、今も日本のHIPHOPアーティストのインタビュー・執筆で活躍中だ。
[PR]
by taku_yoshioka | 2012-06-03 20:20 | book

どうやっても越えられぬ海でも ドゥワップできり抜ける船乗り(天気予報/SUPER BUTTER DOG)

e0191371_01696.jpg

表紙を開き、数ページ読み進めたところで、ふと「これは青春小説だ」と思った。
根拠はわからない。冒頭部分にはパッとしない若者や、気難しそうな中年男性しか出てこない。
しかし、果たして予感通り"舟を編む"はファンタスティックな青春群像譚だった。

運命か因果か、とある出版社の辞書編集部に集まった個性豊かな面々。
その各々がときに恋をして、ときに友情に熱くなり、足掛け15年の歳月をかけ、
辞書の完成という大きな目標に向けて邁進していく様は、青春以外の何物でもない。
彼らのひたむきさはひたすら眩しく、泥臭くも輝いている。
また、皆が幸せになってしまうというところも良い。ご都合主義だろうが良い。
ストーリーもキャラクターも真っ直ぐすぎるくらいに真っ直ぐ。

タイトルの"舟を編む"とは、国語辞書の編纂を指す。
辞書とは、茫漠たる言葉の海を渡っていくために必要な舟、ということだ。
ともすると単なるツールになってしまいそうな辞書を
舟に例えるところがなんともロマンチックで、言葉への愛情が感じられる。

制作の過程での努力や苦労、苛烈極まりない状況を、緻密に描写することも出来ただろうが、
ライトな文体とテンポで軽快に読ませることでエンターテイメントとしての間口が広くなっているので、
この作品に関して言えば適切なバランスなのではないだろうか。
そして、俄かに「権力」を持ち始めている本屋大賞だけに、こういった作品が選出されて然るべきだと思う。
子供達に対して、やれ本を読もうだの、やれ辞書を引こうだのと説いて回るより、
"舟を編む"を一冊手渡してやればよいのだから。

仲間と一致団結して何かに夢中になったことのある人や、
辞書や書籍に関わらず「ものづくり」に携わっている人は、
きっと共感できる物語。
[PR]
by taku_yoshioka | 2012-05-08 00:01 | book

Ok, it's the stylish century


by takuyoshioka

プロフィールを見る

カテゴリ

全体
music
comic
book
gear
goods
musium
sports
movie
game
web
design
words
未分類

以前の記事

2014年 05月
2013年 12月
2013年 09月
more...